「できた!」の一歩をともにつくる──福祉とデザイン
京都府出身。大阪教育大学で美術を専攻し、卒業後はグラフィック・Web・UIデザイナーとして約10年間勤務。コロナ禍をきっかけに社会課題に取り組む人々を支援するプロボノ活動を開始。福祉への関心を深め、専門学校で社会福祉士の学びを経てソーシャルスクエアに入職。現在は尼崎店でスクエアクルーとして働いている彼が、デザイナーから福祉の世界に飛び込んだわけとは。支援に対する想いについて徹底インタビュー。
濱田 拓真(はまだ・たくま)
SOCIALSQUARE 尼崎店 スクエアクルー/社会福祉士
ソーシャルスクエアという地域に開かれた現場で障害福祉に関わるクルーは、どのような問題意識を持ち、どのような理想を掲げて支援を行っているのか。その声をインタビュー記事で紹介していく「Crew’s Voice」のコーナーです。
京都府出身。大阪教育大学で美術を専攻し、卒業後はグラフィック・Web・UIデザイナーとして約10年間勤務。コロナ禍をきっかけに社会課題に取り組む人々を支援するプロボノ活動を開始。福祉への関心を深め、専門学校で社会福祉士の学びを経てソーシャルスクエアに入職。現在は尼崎店でスクエアクルーとして働いている彼が、デザイナーから福祉の世界に飛び込んだわけとは。支援に対する想いについて徹底インタビュー。
※掲載内容は取材当時のものです
普通の外側から見えたもの
—— 編集部 -濱田さんは現在尼崎店のスクエアクルーとして働かれていますが、前職はデザイナーをされていたとか。はじめにデザインに興味を持ったきっかけなどを聞きたいです!
中学の頃、バンド『米米CLUB』の舞台演出に衝撃を受けたことがきっかけです。ライブ全体が総合芸術みたいで「人を喜ばせる技術」としてのデザインに強く惹かれて、大学では美術を専攻し、卒業後はグラフィックやWeb、UIデザインなどに携わる仕事をしていました。
—— 編集部 -福祉への関心はいつ頃から芽生えたんですか?
デザインに興味を持つ一方で、「障害のある人」に興味を抱くことがあり…明確なきっかけは覚えていないんですけど、おそらく理由の1つは、幼少期から自分自身が「普通に生きること」に違和感があったことだと思います。
—— 編集部 -“普通に生きることへの違和感”って具体的にどんなものだったんでしょう?
自分の幼い頃、父の転職が多かったことから、生活が不安定になることが度々あったんです。家計が厳しくて…なかなかに緊張感のある暮らしをしていました。
そんな時「他の家の人は普通に会社勤めをして、安定した生活を送っているように見える。でも自分の家は––…」と自分の環境と周りを比較したら、「普通」というものに距離を感じ始めて、自分が当たり前の外側にいるような気がしてきました。
おそらくそういったことをきっかけに、自分と似たような立場の人を探したくて…マイノリティな立場の人に興味を持ち始め「障害のある人」に対しても惹かれたんだと思います。
興味自体は大学生になっても続いていて、大学のアルバイトは重度の自閉症や強度行動障害を持つ方々が暮らす入所施設で4年間生活介助をしてました。
—— 編集部 -なんと!大学の時点で既に福祉業界にちょっと触れられていたんですね。
はい。入所施設でのアルバイト経験が、自分の中の『福祉』に対する価値観にかなり影響を受けたと思うので、あの時点でちょっとでも『福祉』というものに触れられたのは、よかったんじゃないかと思ってます。
というのも、自分が働いていた施設は、結構その…閉鎖的な場だったといいますか。人がなかなか来ないような山奥にあって、施設の隣は産業廃棄物の処理場だったので、虫が頻繁に湧くような……まあ、決して快適とは言えない環境にある施設だったんです。
入所施設でアルバイトをするまでは「支援=人に直接働きかけること」だと思っていましたが、生活介助の経験を重ねていくにつれ、入所施設の閉鎖的な環境は、支援を受けている方々のこれからの可能性に蓋をしてしまってるように見えて「環境が人に与える影響」の大きさを痛感しました。
どれだけ支援側が丁寧な支援をしても、周囲の環境が整っていなければ、その人の力を引き出すのは難しいと感じたんです。
—— 編集部 -アルバイトのおかげで支援について大きな気づきを得られていたと…、濱田さんはデザインと福祉という2つのものに対して興味を抱かれていたようですが、最初にデザインの道を選ばれたのには、なにか考えがあったんですか?
入所施設のアルバイト先から就職のお話もいただいていたのですが、まずはデザインの技術をしっかり身につけて、いずれ何かしらのかたちで福祉に還元したいという考えがあったんです。それに「デザイナーは体力勝負」とも聞いていたので…体力のある若いうちにデザイン業界で経験を積んでおこうと思いました。
—— 編集部 -なるほど。ご自身のデザイン技術を福祉に還元する為に、10年間デザイン技術を磨いていたんですね。
はい。ある程度デザインについての知識を身に付け、仕事が一段落したタイミングで、改めて福祉を学び直そうと、専門学校に通いました。
—— 編集部 -そういった経緯があったんですね!それからどういった流れでスクエアで働くことになったんですか?
福祉の知識を積んで社会福祉士の資格もとれたあと、そろそろ働き先を探そうと思った時、たまたまスクエアの紹介動画を見つけたんです。
動画に映っていた雰囲気が、大学時代にアルバイトしていた入所施設とはあまりにも違っていて、衝撃を受けたのを覚えています。その後、スクエアでインターンをする機会をいただいたんですが…動画で見たとおり、明るくて、風通しの良い雰囲気がそのままかたちになっていて
「この環境でなら、自分のデザイン経験を活かした支援ができる」と強く感じ、入職を決心しました。
「できた」の一歩を
—— 編集部 -濱田さんがスクエアに入職されてから約1年半が経過しますが、デザイナーをしてた時との違いについて聞いてみたいです!
デザイナーをしていた頃は、基本的に個人で完結する仕事が多く、いわゆる“個人プレー”でした。しかしスクエアは、チームでひとりのご利用メンバーさんを支援していくスタイルなので、1つのことについてクルー全体で話し合ったり、対応したり…チームで仕事をする点に関しては少し新鮮に感じましたね。
あと当たり前かもですが、仕事の内容が全然違いますね。デザインは完成物が「目に見える」仕事でしたが、支援の場合は、ご利用メンバーさんの感情や状況の変化といった「目に見えない」事柄を扱うので…相手の感情や背景に注目することが増えたと思います。
—— 編集部 -ご利用メンバーさんの気持ちに寄り添う上で意識していることはありますか?
はい。スクエアに通われるご利用メンバーさんの中には、「何かにチャレンジしてみたい」という前向きな気持ちと、「障害のある自分には難しいかもしれない」という不安が、心の中で拮抗している方がとても多いんです。そうした複雑な感情を丁寧に受け止めながら、挑戦へのハードルをいかに下げられるか――それが自分の役割だと思っています。
—— 編集部 -挑戦へのハードルを下げるには、具体的にどういった工夫をされるんでしょう。
最近では『Illustrator講座』というカリキュラムを担当したのですが、マウスとキーボードだけで操作できる、福笑いをしてみる…という課題を用意して、限られた時間の中でも「できた!」と感じてもらえるようなカリキュラム構成を考えました。

いちからものを作ったり、夢を叶えたりすることはとてつもない労力がかかるものですが、練習することで徐々にできるようになるということを伝えていけたらと思っていて…“ケーキのトッピング”をイメージしてもらえると良いかもしれないです。土台はこちらで用意して、トッピングするだけの労力で「できた!」と相手に達成感を持っていただく流れがつくれたらと考えています。
「ハードルは低く、達成感は大きく」を心掛け、土台つくりについては注力して行っている部分です。
「やってみたい」を支える
—— 編集部 -“ケーキのトッピング”の話って、UIデザイン(ユーザーがウェブサイトやアプリなど、迷わず快適に操作できる体験を支える設計)に近い感じですよね。まさにデザインが活かされてる支援でいいですね!
スクエアの環境が良いからこそ、自分はこういった支援ができているんだと思います。
スクエアは、事業所のみの支援にとどまらず「ごちゃまぜ活動」などを通じて、地域や人とつながる機会がたくさんあるので、さまざまな人にとっての可能性の道が――その人の「やってみたい」を見つけられる場だと感じました。
【ごちゃまぜ活動】
障害の有無、国籍、年齢、性別、文化など異なる人が存在する社会を楽しむための自然な機会を「ごちゃまぜ®」と題し、自分たちがやりたいと思え、みんなで楽しめるまちづくり企画を地域の中で運営しています。その地域にとって大事なことをその地域の人たちと共創しています。
「やりたいことがみつからない」という方が、自分の興味の方向を探せるように「やりたいと思っていたけれど、諦めていた」という方が、もう一度挑戦できるように。最初の一歩を支え、次につなげるために、自分の持つデザインの力を最大限に活かす。そんな支援をしていきたいですね。

