拡張福祉論2「拡張福祉的経営論」

ソーシャルデザインワークス代表の北山剛による論考「拡張福祉論」。第2回は、オープンしたばかりのソーシャルスクエア熊本店を皮切りに、拡張する「福祉のフィールド」について考えていきます。

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ソーシャルデザインワークス代表の北山剛による論考「拡張福祉論」。「ごちゃまぜ」の理念に辿り着いた北山の頭の中にある言葉をテキストにし、シリーズ化して連載しています。第2回は、オープンしたばかりのソーシャルスクエア熊本店を皮切りに、拡張する「福祉のフィールド」について考えていきます。なぜ北山は、いわき、西宮、熊本に店舗を構えたのか。組織の経営論から「拡張福祉」を読み解きます。

拡張福祉論2
拡張福祉的「経営論」

−分散のメリット

ようやく、念願のソーシャルスクエア3号店が熊本市にオープンした。ファシリティが抜群に良く、とてもスタイリッシュで、手応えを感じている。オープンから2ヶ月で10名ものメンバーさん(利用者)が来てくれている。この場所の居心地の良さやコンセプトを、メンバーさんも感じてくれているようでとても嬉しい。
この場所は、自立支援と相談支援がメインの事業となる。障害のある方の支援の根っこの部分でもあるから、いわば障害福祉の「ど真ん中」の施設だといえる。だが、そう見られないように心がけた。福祉施設というと、それだけで少し真面目な印象を持たれてしまう。おしゃれでスタイリッシュに突き抜けているくらいでちょうど良いと感じていた。場所が産むワクワク感。何かをやってみようとか、あの椅子の座り心地がいいから通ってみようとか、デザインの力で人の心を前向きにしていくことも福祉だと考えていたので、実際にこのような場所ができてとても嬉しく感じている。
今日考えたいのは、まずこの熊本店のことである。私たちはまず、福島県いわき市に1号店をオープンした。さらに2号店を開こうというとき、通常ならば、まずはいわき近郊で開くのが通例だろう。マネジメントや移動のコストのことを考えれば、せめて東北か関東域でのオープンを考える。ところが、2号店はいわきから700km以上離れた兵庫県西宮市。そして3号店がオープンしたのは、そこからさらに700km離れた熊本県熊本市。ソーシャルデザインワークスの出店は、これまでの福祉事業所の事業展開の常識とは全く違う様相を見せているのだ。
この常識破りの店舗展開で得られるメリットは大きい。いま出店している地域とは別の地域性を知ることが、組織に別の視点をもたらしてくれるからだ。例えば、いわき店は就労移行支援と自立支援を柱にしているが、これに対して熊本店は就労移行支援は行なわず、自立支援と相談支援がメイン。それが求められていたからである。地域で求められる福祉は、その地域によって異なる。いわきで成功しても、他県ではそのモデルは通用しない。その地域の「福祉の歴史」や、人間関係も含めた環境が、その地域の福祉を作るからだ。
大事なことは、その地域で求められる福祉を、地域の人たちと繋がることで見出し、それを実践していくことだ。だから福祉とは、常に地域の人たちと一緒にネットワークを作り上げながら推進されなければならない。すべての地域で異なるのだから、金太郎飴のような、どこを切っても同じようなサービスを提供したとしても、その地域の痒いところには手が届かない。
どこかの店舗で成功して、それを当たり前と思ってしまうと、そのやり方が正しいと勘違いしてしまう。けれど、いわき、西宮、熊本、それぞれのニーズが違い、プレイヤーも違うということが、お互いに「外部性」を取り入れる結果になり、それぞれのサービスや事業を検証する視点を与えてくれる。前回のコラムで「拡張福祉」のエッセンスを紹介したが、このように福祉とは、常に自分たちのフィールド、活動する領域を拡張してくれるものなのである。逆にいえば、そのようなグラデーションのある展開でなければ、福祉とは言えないのではないだろうか。

オープンしたばかりの熊本店だが早速地域を巻き込んだイベントも開催されている

−組織論としての「拡張福祉」

組織の成長を考えたときにも、この「フィールド拡張」は大きな鍵になる。サッカーを例に考えてみる。通常サッカーは、ポジションとそのポジションに課せられた役割が決められている。例えばサイドバックには、守備だけでなく攻撃参加も求められるから、走力やクロスの精度なども求められる。そしてその職能を果たせる人間が、そのポジションに当てはめられる。人よりも役割、ポジションが上位にあるのがサッカーであるだろう。
しかし、ぼくたちの組織は、ポジションや役割を最初から決めない。関わる人のバックボーンやスキル、経験によって、チームとしてできることは変わってくるのが当然だからだ。ぼくらはこういう会社、と決めるのではなく、常に「これもできるじゃん」と変化していく組織でありたい。だからこそ、多様な人たちに「私もあそこに関わったら変われるかもしれない」という期待を届けられる。この場所はこう、と決めつけていたら、そこに最適化された人しか通い続けられない。そうではなく、徹底して人に寄って組織を考える。役割に当てはめるのではなく、人によって組織は変わってもいくものだ。
だから、ぼくたちは「就労移行支援」や「自立訓練」のサービスを提供する法人ではあるけれど、どのような事業を行うかは人によって変わる。例えば、昨年入社した女性は、もともと映像を制作する職業についていたのだが、単純に「面白そうな法人だから」という理由で面接を受けてくれていた。採用したらたまたま映像もできる人だとわかり、映像製作や広報に関わってもらっているのだが、初めからこのような福祉の職能を持った人を採用するというやり方だったら、彼女とは出会わなかったかもしれない。
また別の男性は、もともと柔道整復師として活動していて、法人にジョインした後も、そのスキルを日々の業務に役立てている。彼がコンディショニングをしてくれることで、組織の推進力も上がった。それだけではない。彼は先日「ライフキネティック」という運動と脳トレを組み合わせたドイツのプログラムの講習を受けた。仕事よりはむしろ個人の発展のために受けたいのだという。しかしそのスキルは、個人だけではなく、利用者にも役立てられる。かくして彼のライフキネティックは、いわき2号店の目玉のカリキュラムになる。もちろん、それは自立訓練のカリキュラムであるだけでなく、一般向けのプログラムとしても生かすこともできる。
このように、初めから「私たちの組織はこう」「求めている役割はこう」と決めつけていたら、このような多様な採用には結びつかない。それぞれの人が持つ特技や興味は、仕事に役立ち、利用者に役立ち、さらに地域に役立つ。そしてそれによって自己肯定感も高まり、人生が楽しくなる。そうしてハッピーな感情が、個人と利用者と組織、さらには地域にも拡張していく。拡張福祉論とは、実は、組織運営論でもあるのだ。
仮にスタッフが辞めても、また新しいチームになればいい。穴埋めをしようとしてしまうと、前任者の役割を後任者は背負わなければならない。そうではなく、残された人、新しく加入した人たちでベターな組織を考えていけばそれでいいのだ。もちろんこれは、生きにくさを抱えた人たちに対する支援に対しても同じことが言える。ありのままの自分が強みになるような、そんな支援をしていきたいし、そんな組織にしていきたい。
生きにくさを抱えている人が、社会に自分を合わせなくていかなければならないというのは不条理だ。法人・組織も同じだろう。人が会社に合わせるのではなく、会社が人に合わせて変化していけばいいだけ。「すべての仲間の幸せを追求し、諦めのない社会を創る」。これはぼくたちの法人のビジョンだ。すべての仲間と掲げている。利用者だけでも、組織内の人間だけでもない。関わってくれる人、そこに暮らす人に対しても、このビジョンは適用されなければならない。

拡張福祉の理想的な場になっているいわき店。一体何のスペースなのかわからないのがいい

−個人の「生き生き」が社会をデザインする

いわき店は、第一号店ということで、地域への密着度も高く、ひとつの理想を体現してくれていると思う。クルーたちは、自分たちだけですべてできるとは思ってない。この領域は地域の誰々、あの領域なら別の誰々、というように、いろんな人を頼ることができるようになってきた。いわきはこの春に2号店もオープンしたが、1号店とはまったく違う業態での運営になっていて、同じ市内でも拡張福祉を実践できているのはとても面白い。少し贔屓目かもしれないけれど、常に最先端の福祉を追求できていると思っている。
先ほど役割の話をしたけれども、法人によって都合のいい地域を作り上げ、当てはめるのではなく、まず地域のなかにどのようなニーズがあるのかをリサーチし、スタッフのスキルや「やりたいこと」と向き合いながら、法人としてやるべきことを作り出すことが大事だ。いわきの2号店の場合は、クルーのスキルや地域からのニーズに向き合ったことで、スポーツの要素を取り入れた自立支援という新しいコンセプトが生まれた。福祉は往往にして独善的になりやすく、自分たちのサービスを「これこそが本当の福祉だ」と思ってしまいがちだが、自分たちだけで考えるのではなく、自分たちの「外側」と常に意見交換しながら考えることで、より良いサービスが生まれる。いわき2号店は、「外側」との関わりがなければ生まれなかっただろう。
ぼくらが意図しないところに接点が生まれる。福祉とは常にそうやって間違って外に届いてしまい、そこで新しい価値が生まれてしまう、すなわち常に拡張していくものではないだろうか。だから、外の人たちから、ソーシャルデザインワークスは何の法人かよくわからないと言われる。「福祉」ではなく、地域のニーズやクルーのスキルに合わせてやることを変えているからだろう。「何か面白いことをやっている法人」。そういう評価が一番嬉しい。
ぼくはかつて、日本最大クラスの福祉の企業に身を置いていた。全国に店舗や事業所を展開し、すさまじい成長を見せたと思う。しかし、体が大きくなれば、システムやマネジメントも効率を求めるようになり、投資家を満足させるために計画通り会社を大きくしなければならない。それに合わせ、サービスは均質化され、人材教育は体系化され、全国どこに行っても等しくサービスが受けられるようになった。それはそれで素晴らしいことである。
しかし、当然人はロボットではない。やりたいことも、人生で叶えたいことも、できることも経験してきたものも違う。それを半ば犠牲にして組織に合わせる必要がどこにあるだろう。会社が、働く人たちや利用者に合わせて変わっていけばいいし、店舗や事業所も、それに合わせて変えていけばいい。であるからこそ、スタッフひとりひとりが個性を発揮し、考え、自立して行動できる。会社に合わせて自分を変化させていくうち、会社のシステムがなければ通用しない人になってしまうこともある。人の自立も同じではないだろうか。
ぼくは、大学を卒業して大手のゼネコンに入社した。そこではぼくは歯車だった。自分ひとりが抜けても組織は回っていく。それはとても心強いように見え、しかしとても寂しくもあった。自分の存在意義はどこにあるのだろうと考えた。そしていま、こうして自分で法人を立ち上げ、仲間たちとともに、少しずつ事業所を増やすことができている。ぼくは、それらの事業所や仲間たちを金太郎飴のような存在にしたくはない。自分のやりたいことをやっていい。それが福祉だからだ。
もはや、公私の線引きすら必要ないかもしれない。ワークライフバランスすら存在しないかもしれない。生きていて楽しい、その楽しさのまま仕事があり、支援があり、地域での活動やプライベートがある。それがシームレスに重なるような生き方・働き方を、ここでは作っていきたい。
そのような仕組みだからこそ、自分の楽しいと思うことが社会貢献になってしまう。自己犠牲でもなんでもなく、大義名分に従う必要もなく、その人のあるがままが福祉になってしまう。既存の福祉は、誰かのしんどい苦労の上に成り立っていた。それを解放したいと思っている。「すべての仲間の幸せを追求するとともに、諦めのない社会を作る」。誰かの生きにくさを解消するために苦労を背負わなくていいのではないだろうか。
福祉はさまざまに拡張する。それに合わせて、個人も法人もポジティブに拡張し続け、生き生きとした人生を送る。それが伝播することで、ほかの誰かの「生き生き」がまた作られる。その連続をデザインしていくこと。ソーシャルデザインワークスでやりたいことは、つまりそういうことなのだ。
(聞き手・構成/小松理虔)

PROFILE
北山剛
北山剛

北山 剛(きたやま・つよし)
代表理事CEO/エグゼクティブプロデューサー

1979年福島県いわき市生まれ
東北大学工学部卒業、同大学院情報科学研究科修了

株式会社LITALICO(障害福祉事業会社では唯一の東証一部(現プライム)に上場)の創業メンバーとして26歳で参画。原体験は創業当時に出会ったある男性との対話。交通事故で重度身体障害になり、以降20年近く24時間介護施設で生活し人生に絶望しきっていた男性。その絶望感は本人から生まれたものではなく、周りにいる少ない人間が勝手に諦めることにより生み出されたもの。そして、多様性を拒絶する福祉業界の壁。「障害があっても働きたい意志があるなら、それを何とか実現するのが障害福祉の使命ではないのか?」と自分たちの志を話そうものならバッシング、全否定。これは、誰に何を言われようが若者なりの想いを貫くしかない。想いを実現するまでやり切るしかない。そんなパッションで10年以上にわたり、社会的課題をビジネススキームで解決していくソーシャルビジネスが成り立つことを実績で示す。その後、同社から独立、再びゼロから起業。

NPO法人ソーシャルデザインワークスでは「仲間の幸せと共に諦めのない社会を創る」というビジョンを掲げ、障害のある方や生きにくさを抱える方々に向けた自立訓練・就労支援サービス事業を軸に多様なごちゃまぜの世界観を地域の方々と共創し、全国展開を目指している。

はたらき方の多様性を自ら体現するために2017年〜2020年の3年間、家族と共に南米ペルーで移住生活を送った。

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