【書評】君の話

新連載!ソーシャルスクエアへ通うメンバーさんによる書評・「生きづらさ」をかかえる、わたしたちが選ぶBOOKS。ここでは敢えて新刊に絞らず「生きづらさをかかえている方々の視点」で選ばれた本の紹介と、その内容について、筆者が感じたことや参考になったこと、思ったことを書き綴っていただいています。生きづらさをかかえるかたも、そうでないかたも、ぜひ次の一冊の参考に。

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君の話   三秋 縋 著

 

「一度も会ったことのない幼馴染がいる」

「出会う前から続いていて、始まる前に終わっていた、恋の話」
私はこの売り文句に強く惹かれ、この本を読んでみることにしました。だって意味がわからないですよね。本来出会ってから始まる恋物語が、出会う前に始まっていたなんて。どんな物語だろうと思いました。

「義憶」という偽りの記憶に振り回され、悲しいけど前に進む結末を迎える主人公 千尋(ちひろ)のと一度も会ったこともない幼馴染 灯花(とうか)の一夏の恋愛物語です。「義憶」とは義肢や義眼のように欠落を補うものとして物語に登場します。過去の「もっとこうしたかった」「もっとああしておけば良かった」という欠落を義憶は補ってくれ、記憶が欠落していく病にも対抗できる唯一の存在です。

主人公 千尋は、「義憶」を何よりも愛した両親の元に育ちました。愛し方も愛され方も知らない千尋は、コミュニケーションができない孤独な青春時代を送ることになります。

十九歳。大学生活を送っていたある日。千尋は自分の半生を振り返ってみたとき、そこには灰色の日々しかないことに気がつきます。義憶を買う気にはならなかった千尋は、より空っぽに近づこうと、思い出を消す効果のある『レーテ』の購入を決意します。しかし千尋の元に届いたのは架空の青春時代を使用者に提供する『グリーングリーン』でした。こうして、千尋の記憶に一度も会ったことのない架空の幼馴染 灯花が誕生します。

架空の幼馴染の存在が現れてから数日。灯花の思い出を消そうと心に決めた朝。部屋に戻ろうとした千尋は偶然、隣人の存在に気がつきます。

「……千尋くん?」
「……灯花?」

実在しないはずの幼馴染である彼女が、そこにいました。

「一度も会ったことのない幼馴染がいる」

この一文から始まる物語に、グッと引き込まれました。一度も会ったことのない幼馴染ってどんな存在なんだろう?どういう意味なんだろう?答えは虚構に塗れた架空の人物。義憶は眠っている夢の中で、夏の終わりの夏祭りで、様々な場面で「灯花の偽りの記憶」を千尋に見せつけていきます。

本来登場しないはずの、架空の幼馴染が千尋と同じ記憶を持って千尋の前に現れます。

誰でもやり直したい思い出や、
自分の近くにこんな人物がいたらと願うことがある

私もあの時こうしていれば、こんな人物がいれば、の「タラレバ」を何度も夢想しました。それでも、思い出や周りの環境はどうしても変えることができません。現実世界でも『レーテ』や『グリーングリーン』のような薬があればどれだけ楽な人生を送れるだろうと思いました。
私だったら、架空の青春時代を届ける『グリーングリーン』を購入してみたいです。そして皆の人気者になっている記憶を植え付けたいと思います。

でもきっと、どんな義憶でも辛い部分はあると思います。どんな記憶にも自分に都合がいいことばかりではないように、義憶の世界でも自分の思い通りにならないこともたくさんあると思います。突然、架空の幼馴染が現れた千尋は動揺し、灯花を詐欺師と思い込みます。

そんな彼に、灯花は「私はいつでも千尋くんの味方だから」と優しく声をかけます。しかし千尋はその言葉すら信じず、灯花が作ってくれた料理を彼女の前で屑かごに放り込み、合鍵を奪い取り、「もう二度と僕の前に姿を見せるな」と冷たく言い放ちます。

そんなとある台風の日。隣の灯花の部屋から苦しそうな呼吸音のようなものがうっすら聞こえました。『グリーングリーン』の効果により、喘息で苦しむ灯花の姿が千尋の頭をよぎります。慌てて隣の部屋のドアを叩き灯花の名前を叫びますが、反応がありません。勘違いか、と諦めてその場にしゃがみこみ、タバコを吸おうとすると、隣に灯花が特徴的な微笑みを浮かべ千尋の隣で笑っていました。

「『レーテ』と偽物をすり替えたな」
「うん。だって忘れられたくなかったし、忘れてほしくなかったもん」

この出来事を機に、千尋は灯花に騙された振りをすることにしました。こうして、千尋と灯花の短い夏休みが始まります。

偽物でも、こんなに想ってくれる幼馴染がいたらとっても素敵ですよね。私にも過去に私を想って、想われるような素敵な幼馴染がいました。私のことを誰よりも理解してくれて、その人と過ごす時間は何よりも幸せでした。辛いとき、悲しいとき、楽しいときや嬉しいときも、その人と共有できたことは、今でも私の宝物です。その人とは高校進学を機に別々の道へ行くことになってしまいましたが、今でもその時間を思い出すと幸せな気持ちになれます。たとえ義憶の幼馴染だとしても、千尋は私みたいな幸せに浸っていたかったのかなと感じました

物語で二人は、夏休みの一行日記をつけていきます。そして二十日目の九月十一日に、千尋はこう書きました。

「九月十一日 晴れ 灯花がいなくなった」

こうして千尋と灯花の短い夏休みは終わりを告げます。規則正しかった生活も、千尋は一瞬で以前のような自堕落な生活に戻っていきます。

そんな中大学時代の友人 江森から「十七歳の天才義憶技工士」というニュースサイトの記事を見せられます。そこに映っていたのは疲れ切った表情の灯花の姿。帰ってから灯花のことについて調べ上げ、アルコールを飲みながら思考を空転させていきます。結局夜が明けても一睡もできなかった千尋は、朝食を買うために外に出ました。

―そして運命的な出会いをします。

「……灯花?」
「……どちらさまですか?」

灯花は千尋の名前を忘れていました。

ここで「出会う前から続いていて、始まる前に終わっていた、恋の話」の意味がようやくわかりました。千尋が虚構の恋心に気付いたときには、灯花は新型アルツハイマー病という、古い記憶から消えていく病に侵されていました。

物語はここで灯花の記憶に移ります。
夏の間の記憶をなくした灯花は、最初に千尋と灯花が会ったときのように千尋を詐欺師と思い込みます。それでも、日に日に灯花は千尋に惹かれていきます。それでも、灯花は千尋を幼馴染と認めようとはしません。

「すべての記憶が消えてしまったのに、一人の男の子の記憶だけは消えずに残っていて。家族から見捨てられ友達もいないのに、その男の子だけは毎日欠かさず会いに来てくれて。仕事がなくなってなんの価値もなくなった私を、それでも好きだと言ってくれて。そんな都合のいい話あるはずないじゃないですか」

そう絶望する灯花に千尋は「僕も前まではそう思ってた」と肯定します。そして、かつての自分自身にも向けた言葉を灯花に送ります。

「でもね、人生にはときどき、そういう何かの間違いが起こりうるんだ。幸福なだけな人生がそうそうありえないように、不幸なだけの人生もそうそうありえないんだよ。君は君の幸せを、もう少し信じてあげてもいいんじゃないかな」

 

「君は君の幸せを、もう少し信じてあげてもいいんじゃないかな」

なんて素敵な言葉だろうと思いました。私も不幸が続くと、目の前に落ちているささやかな幸せも信じられなくなる時があります。仕事で失敗してばかりで、誰にも評価されなくて、プライベートも楽しめなくなった時が私にもありました。もうこのままずっと不幸なんじゃないかと、今でもふと思ってしまうときがあります。でもこの言葉を読むと、かすかな幸せも自分に降ってくるんじゃないかなと思える一言でした。
あなたはあなたの幸せを、もう少し信じてもいいと思います。

「世の中には優しい嘘もある」なんてよく言いますよね。それは時に真実よりも甘美で、正しくて、人の心にじんわりと馴染みます。二人が出会った嘘も、そんな優しい嘘に塗れていました。それはとてもドラマチックで、感動的で、そして何より悲しいものでした。
複雑に絡んだ糸がこんな悲しい形で解かれるなんて、なんて切ない物語だろうと思いました。それでも、二人が幸せならいいんじゃないかって思う方もいると思います。

ふたりの最後の嘘は、お互いを想いあった優しい嘘

物語のクライマックスでは、お互いを「想いあった嘘」がキーになります。こんなにも悲しくも優しく映るのは、この作者さんの作品の素敵な所だと思います。美しい文章の中に、じわじわと侵食していく毒のようなものがあって、最初から最後までぐっと惹きこまれていきました。私も灯花と千尋と同じ立場になったとき、優しい嘘を吐き続けられるかと言われたら、それは無理だと思います。自分のことで精一杯になってしまうと思うから。詐欺師呼ばわりされて、きっと傷ついてしまうから。

その後、千尋は灯花と同じ義憶技工士になりました。とある雑誌のインタビューで、千尋は「義憶技工士とはどんな仕事ですか?」と問われます。その問いに、千尋は灯花から教わった事を答えます。

「世界で一番優しい嘘をつく仕事です」
たった三ヶ月だけど、僕には幼馴染がいた。

この言葉で物語は締めくくられています。
嘘に塗れた、本当に素敵な恋物語でした。

優しい嘘をつく強さも、それを見抜いて指摘する強さも、私は持ち合わせていません。ソーシャルスクエアのカリキュラムの中で、本当の強さを見つけていきたいと思いました。

架空の世界を再現した悲しくも温かい物語になっています。
ちょっとだけ騙されてみたい方、自分も架空の物語の登場人物になってみたい方……
いろんな方が読める作品となっています。是非、読んでみてください!

(書評ライター:ゆのみ)

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