マジメな事業だからこそ「外」を意識しろ
同じいわき市生まれ。同世代、さらに同じ医療福祉の業界でスタートアップを経験する。そんな3人のアントレプレナーが一堂に会し、起業や独立、いわきの課題などを縦横無尽に語り尽くしました。
ソーシャルデザインワークスが福島県いわき市で立ち上げられたのが、今から2年前の2015年。代表の北山が開業にもがいている頃、北山と同じように「起業」や「スタートアップ」に奮闘した同志がいました。IT技術によって現場の医師を支援する株式会社HealtheeOneを起業した小柳さん。そして、いわき市で「地域包括ケア推進課」の立ち上げに関わり、高齢者福祉に新風を送り込んでいるいわき市役所の猪狩僚さん。
同じいわき市生まれ。同世代、さらに同じ医療福祉の業界でスタートアップを経験する。そんな3人のアントレプレナーが一堂に会し、起業や独立、いわきの課題などを縦横無尽に語り尽くしました。そのほんの一部を、ここに紹介します。溢れる地元への愛情。そして、人の暮らしや生死に関わる真面目な領域だからこそ必要な外への意識。3人の活動理念にも膨らむ、刺激的な鼎談となりました。
左:北山剛(NPO法人ソーシャルデザインワークス代表理事)
1979年いわき市内郷生まれ。磐城高校97年卒。東北大学大学院情報科学研究科修了。元株式会社LITALICO創業メンバー。「諦めのない社会を創る」というビジョンを掲げ、障害のある方や生きにくさを抱える方々に向けた自立訓練・就労支援サービス事業を軸に、多様なごちゃまぜの世界観を地域の方々と共創し、全国の地方都市展開を目指す。
中:猪狩僚(いわき市地域包括ケア推進課)
1978年いわき市四倉町生まれ。 磐城高校96年卒。明治学院大学を卒業後、2000~2001年まで1年間、ブラジルのリオグランデ・ド・スル州に留学。2002年入庁。入庁後は、水道局、公園緑地課、財政課、行政経営課を経て現職。
右:小柳正和(株式会社HealtheeOne代表取締役社長CEO)
1976年いわき市錦町生まれ。磐城高校95年卒。慶應義塾⼤学理⼯学部電気⼯学科卒業(⼯学⼠)。フランス HEC Paris School of Management 修了(MBA)。伊藤忠商事、Midokura (スイス・ローザンヌ市のソフトウェア開発ベンチャー)などを経て独立し、株式会社HealtheeOneを立ち上げる。
北山 今日は皆さんお忙しいところありがとうございます。ほんと皆さん忙しく走り回られてて、捕まえるのが難しいうえに、僕本人も今はペルーが生活拠点になっていて、こうして集まること自体も難しくなってしまいました。今回せっかく一時帰国したので、改めて起業とかスタートアップみたいな文脈でじっくりお話を伺いたいと思いまして、おふたりに時間を作ってもらいました。
小柳 え? そういう話だったんだ。なんか集まろうっていうから気軽に来たけどこういう対談企画だったわけね。まあ、せっかくなんでよろしくお願いします。
猪狩 おれは役場の人間だし、やってることは起業っていう感じでもないけど、まあ面白そうだし2人の話にはお付き合いしますよ。
北山 まずは猪狩さんの話ですよ。猪狩さんといえば、本当に猪狩さんに会ってから市役所のイメージが壊れましたね(笑)。それまで僕が市役所に対して思ってたイメージは、行政だから堅いとか、手続きする時しか足を踏み入れないみたいなイメージ。働いてる人も「ザ・公務員」みたいな、僕たちとは相容れない人たちだって勝手に偏見がありました。だから「会って話がしたい」と猪狩さん側のほうからオファーがあった時も、実は半年くらい会わずにいたんです。どうせ役場の人は苦手だなって。
猪狩 ほんともったいぶってたよねー(笑) ほんとに会ってくれないんだもん!
―いわきで「スタートアップ」するということ
北山 開業の関係でいわき市の障害福祉課に行ったときに「どうしても北山さんに会ってほしい人がいる」と言われて猪狩さんに会ったら、「うわ、めっちゃアツい人がいる」ってなったんです(笑)。そこから僕の中でいわき市役所の存在感がガラッと変わりました。民間でできないことでも、行政と連携することでとできる、そういう可能性を模索できるんだって。僕らは面白いことをやりながら障害福祉の世界を変えていきたいって思ってるところだったので、協力者の1つとして、いわき市役所の存在価値が強烈に高まった出会いの瞬間でした。
小柳 そんな出会いだったんだ。僕と最初の出会いは浜魂でしたね、第1回の。
北山 そうですね。小柳さんとの初めての出会いは第1回の浜魂でした。立ち上げられたばかりの企画だったし、登壇依頼が来た時には、自分が出て盛り上げてあげようみたいな思いだったんですが、ごめんなさい、みんなすごかったです(笑)。特に小柳さんに対しては「すごい人がいる」っていうのが第一印象でした。しかも磐城高校の2つ上の先輩だったんですよね。僕も地元にいないなりに思いはあって。小柳さんも同じでしたよね。それに、今までやって来たことと全く違うことを始めようとしていました。ビジョンも明確で、根拠となる数字もバチっと示していて、正直すげえなと思いましたよ。
小柳 でも、そもそも僕は医療系のバックグラウンドはないんですよ。IT出身なので。いわきにもいなかったし。そんな僕がなんでいわきで? 医療系? 地域医療を意識し始めたのは親の介護がきっかけでした。
北山 小柳さんがすごいのは動き出しちゃうところですよね。もうすでにいわきを拠点にやってらっしゃいます。HealtheeOne(以下「ヘルシーワン」)さんのお仕事の一部を、うちの一般就労を目指しているメンバーさん5名くらいに今やらせてもらっているところです。2年前、浜魂でたった5分間のプレゼンの時に知り合っただけなのに、今ではつながりを持って、こうしていわきのためになるかもしれないことを一緒に取り組める。単純に嬉しいですね。でも、そもそもなんで医療だったんですか?
―介護の「当事者」から生まれたヘルシーワン
小柳 父親が2008年の年末に末期ガンが分かりました。その時僕はパリに留学していたんですが、これは大変だということで一時帰国して。でも、そのうち父が終末期になりまして、在宅介護することになったんです。僕は2009年1月に完全帰国して東京で働いていて、そこで痛感したのが、在宅医療って大変だっていうことです。父は昭和23年生まれの当時61歳、母は50代後半で仕事をしていました。母に介護離職をしてもらって、自宅で父を見ていてもらったんです。僕は長男なんですが、当時東京にいて何もできないのが歯痒かったので、毎週末東京といわきを往復しました。そこで初めて地域医療の現実を目の当たりにしたわけです。
猪狩 そうだったんだね。
小柳 田舎なので病気を治せないのは仕方がない、名医がいない、専門の医者がいない、それは覚悟していました。でも一番衝撃的だったことは、死ぬ場所を探すのが大変なんだってことですよ。母はたまたま介護離職ができる仕事だったし、僕も東京からいわきなら高速バスで片道3000円くらいで帰れました。でも、これが例えば実家が大阪だったら新幹線代だけで相当な額になりますよね。両親はまだ若かったんですが、例えば、この先母親も介護が必要になってしまった時にどうしようかと。姉が小川町に住んでいてすごく一生懸命やってくれましたが、介護って精神的・肉体的も負担が大きいし、経済的な負担もあるってことがよくわかりました。
北山 震災以降も、医療の供給が足りない、医師の数が足りないぞなんてことがますます顕在化していますね。いわきの地域課題の代表みたいになってきてます。
小柳 父親は2009年5月に亡くなりました。それをきっかけに、仕事とは全く別に、医療政策とか医療サービスをライフワークとして勉強し始めたんです。実は高校生の時、医学部を志望していたってこともあるんですけどね。その後、2014〜15年ごろかな、母親も体調を崩してしまって。その時も東京からちょこちょこ帰って来てたんですが、震災・原発事故から3年くらい経っても、医療環境が改善しているどころか、なんとなく悪化してるんじゃないかなって若干思ってて。ただ、それは僕の主観だったので、本当はどうんなんだろうって調べてみたくて、厚生労働省とか福島県庁とかいわき市のHPからデータを引っ張り出して、それを勝手に分析して政策提案を作ったのが2015年の浜魂だったんです。
猪狩 そう、あのプレゼンだけ妙に政策提案でしたね(笑)
小柳 高校時代の僕の1つ上の先輩に医師の方がいるんです。大平さんといって今は国際医療福祉大学の医学部の主任教授をしてて、当時彼にも相談してたんです。その先輩のご友人が猪狩さんの部署(行政経営課)に当時いて、一度訪ねてみたらと言われたんです。それが猪狩さんとの出会いです。
北山 いろいろつながってきますね。僕と小柳さんは、確かに浜魂が最初だって言いましたが、その前から間接的にはつながってはいたんですよね。
小柳 今、北山さんのところがやっている「グリーンバード」ってゴミ拾いの活動がありますよね。あれ、始めたのが僕の友人で、僕が2007年にパリに留学するときに、チームを向こうで作ったら手伝ってやってくれっていう話がありまして、2007年9月にパリで日本人2人でゴミ拾いを始めました。グリーンバードパリ支部です。だから、ゴミ拾いを始めたのは北山さんよりかなり早いんですよ(笑) で、2014年頃かな? いわきにもグリーンバードのチームができたっていうのを聞いて参加してみたんです。
北山 当時いわきチームのリーダーは向山くんでしたね。
小柳 そう向山くん。サッカーチームいわきFCの代表で、すごく一生懸命な人だったんです。いわきFCをもっと大きくするために、経営面や資金調達のことを教えて欲しいって言われて、ゴミ拾いの後にいろいろと話すようになりました。彼が本気なら僕も本気でやろうと思って、サッカーチームの運営母体だった社団法人の役員も引き受けて一緒に関わるようになったんです。仕事をしながらも大きな目標を掲げ、情熱を持ってサッカーチームのことに取り組んでる向山くんの姿に、いわきって意外と面白い人がいるんだな~って、北山さんの浜魂じゃないけど、いわきナメててすみませんでしたって(笑)。
北山 そのうち、いわきFCもだんだん忙しくなってきて、グリーンバードの活動が難しくなってきたところで、知人を介して僕のところに相談が来ました。グリーンバードの活動は、僕らがやってる障害福祉のアプローチと親和性が高くて、社会とつながるとか、社会との接点を作れるとか、あとはゴミ拾いで単純に参加してるメンバーさんの自己肯定感が上がったりコミュニケーション能力が上がったりと相乗効果があった。それで運営母体としてバトンタッチを受けたんです。もう2年以上経ちますが、パークフェスやビア博などのイベントに参加してきたものあって、グリーンバードいわきチームとして、市内の認知も上がってきています。
―いわきでITを起動する意味
小柳 ヘルシーワンの事業は本当に大変ですよ。でもやっぱりこの事業を進めようと思ったきっかけは、父を在宅で看取ったってことですね。父が61歳で僕が32歳だったんですけど。そのとき思ったのは「人生あと30年か」って。30年の間に僕は何ができるんだろうって考えたのが大きくて。
北山 その感覚、よく分かります。
小柳 その頃僕は伊藤忠商事で仕事してたんですけど、なんとなく自分の30年後が見えたんです。会社のためにはなるけど、社会のためになるかとか、常に考えてたんですよ。ライフワークとして医療はずっと考えてたんですけど、それが事業化できるんじゃないかと思ったのが、猪狩さんと話してるときにデータ解析をして、こういう状態だというのが分かった時です。地域医療というものに対して、ビジネスの手法を使って、行政だけではできないようなことを民間でサポートできないかと思ったんです。持続可能な仕組みにするためには、きちんとお金を回さなくちゃいけない。税金をひたすら投入すればいいんだけど、それだけじゃ価値を生まないから、価値を生みながら、持続可能な仕組みを地域医療で作れないかなと。ITとかビジネスの手法を使ってできないかなと思っていたんです。
北山 なるほど、そういう経緯だったんですね。ちゃんと話してみないと、ほんと、そのあたりのことはまったく分かりませんでした。
小柳 商社時代も今もそうですが、アイデアとか夢や技術の種をきちんと事業化して持続可能な形にするというのが僕の強みです。それを地域医療に活かせないかなと思っていました。それで猪狩さんと色々話しながら事業計画を作ったんです。ビジネスプランの千本ノックってよくいうんですけど、知人のベンチャーキャピタリストや成功している起業家の方、お医者さんなど大体100人くらいに事業計画をみせて、徹底的に叩いてもらったんです。それで出来たのがヘルシーワンという会社で、普通のベンチャー企業としてスタートアップしてるので、別にいわきでやる必要ないんですけど、なんでいわきでやろうと思ったかというと、東京からたったの2時間じゃないですか。これまでやって来たビジネスはスイスやヨーロッパとか、片道10時間以上かかる場所で、しかも時差や言葉の壁もあったので、まあ、それに比べれば大したことないです。
猪狩 それと、当時話していたのは、製造業が中心にいわきにITを持ちこむことの意義の大きさでしたよね。
小柳 そうです。いわきにITベンチャーがあまりないんですよ。いわき市の産業の構造を見ると、二次産業が大きい、いわゆる製造業ですね。いわき市のGDPをみていくと一次産業のブレを飲み込むくらい二次産業のボリュームがあるんですね。しかも下請け的な会社が多い。そこにイノベーションを起こすにはITが必要で、そういうエコシステムを作ることにチャレンジしてみるのもすごく面白いなと。実際チャレンジはすごく大変なんですが、やらないよりやってみたほうが人生面白いかなって。
北山 ほんと、スケールの大きい話しますよね、小柳さんは。
―ベンチャーからのチャレンジ
小柳 3人の共通点は、思っちゃったらやらずにいられないってことですかね。
猪狩 僕の場合、この2人ほどではないですけど、この人に会いたいなぁと思ったら行っちゃいますね。
北山 僕の座右の銘は「やらずに悔やむよりやって悔やめ」です。人って、普通は道がないところには一歩を踏み出せないものじゃないですか。でも、社会的には見えていなくても、自分たちの中には明確に道が見えてる。だったら進まないわけにはいかない。だから、まず自分が一歩踏み出して、そのビジョンや道を第三者にどれだけ明確に伝えることができるかが大事なんだと思います。それが伝わって初めて、同じ道を歩く仲間が増えていく。そのためには、人に語るとか浜魂に出てみるとか、外に出ていかないといけない。そういうことがちょっとずつ繋がっていくのかなと思います。いわきで実際やってみて、そう思いました。
小柳 経済とかビジネスって、何もしないって判断もそれはそれで正しいけれど、リスクをとってどうリターン取るかっていうのも、冷静にみんな考えてると思うんですね。直感も含めて。僕個人的には、今僕がやっている領域って他に誰もやってないから、こんなに儲けていいんですかって話で。あと一番リスクとして考えるのは自己破産ですが、今のビジネス環境ではそこまでいかなくても有限責任でもやることができるので、失敗したとしても死ぬわけじゃないし、すっからかんになるわけでもない。失敗は次に繋がる財産になるってことです。お金だけを目的にしたらそれまでだけど、自分の中で生まれた価値はあるはず。だからチャレンジすべきなんです。
北山 確かに、リターンはお金だけじゃないありませんよね。前職から今のフェーズに移ることで、人生に求めるものが変わったんですよ。12年前、26歳の時に仲間4人で前の会社を立ち上げた時は、自分はまだ若いし、失敗しても何とでもなると思って、リスクの計算はたいしてせずに一歩を踏み出しました。意外とうまくいって、仲間も集まりどんどん成長していく。株式会社なのでリターンも金銭的な価値があることもモチベーションの1つでした。やっていること自体も、障害福祉で、しかも全国展開。僕らが最初ノリで始めたサークルみたいなことが、人に感謝されるようになったんです。最終的には東証一部に上場しました。でも、12年間障害福祉に関わって、全国展開して日本一の会社になったけど、自分の地元のいわきすら何も変えられていない。それを痛感して、いわきで事業展開することにしたんですよ。
猪狩 僕も、今の業界に関わって1年ちょっとですけど、めちゃくちゃ面白くてアツい人が多いです。でも自分たちだけで頑張ってたりとか、何時間も働いた後に自分たちで会費を払って勉強会をやったりとかしてて。そういうアツい人たちの思いを届けなきゃ勿体ないなと思いました。閉ざされた業界のように見えて、意外と1人ひとりはオープンだったりするんです。そこで役所の正しい役割が必要だと思いました。いろんなところへ行って誰かと誰かを結び合せる時に、「いわき市役所の猪狩です」という一言が魔法のキーワードになる。初めて行く場所でも信用してもらえるんです。
北山 なるほど。魔法の言葉ですよね。僕が直接行けないところも、猪狩さんの魔法の言葉で行けてしまうってこと、けっこうありましたよね。
猪狩 役所の信用保証の本当に正しい使い方は、税金を自分たちで何かの事業をやるんではなくて、その保証の名の下に、いろんな人を組み合わせるとか、誰も行ったことのない領域に一歩踏み出してみて、すごく面白い人がいるとか、面白い分野があるということをみんなに伝えていく、それが個人的には役所の正しい使い方かなと思ってます。役所って数年で異動しちゃうけど、その領域で面白さを見つけて自分なりに楽しもうって人があまりいないですよね。僕が職場に言ってるのは、僕を雇えるくらいの豊かさを持って欲しいってことです(笑) 僕がこの部署にいるってことは豊かさの証拠ですよ。
一堂 (爆笑)
北山 僕らも国の制度を活用してやってるので行政との折衝って必ず発生してくるんだけど、猪狩さんのおかげで、いわき市役所とやるのがすごく楽しくなってきました。
―縮小時代のお金の使い方
猪狩 前の部署で、このいわき市を5年10年30年っていうスパンでどう考えていくのか、そんなことを考えていた時、ある人が、この国は世界に先駆けて初めて階段を降りて行くフェーズに入るんだというわけです。人口も経済もあらゆるものが右肩上がりで登る。それが成功の象徴で、みんながそれに向かって邁進していた時代から、少なくとも人口はその階段を降りていく。人類が経験したことのないところに来ているって話をしてて。じゃあ、その階段をどう下りるんだって話になっていくんだけど、お金とかビジネスというのは、お二人にとって持続可能なツールであって目的ではない。やった結果としてもらえる達成感って、もっと違うところに求めている気がするんだけど。
小柳 そうかもしれない。稼ぐのは目的じゃない。
猪狩 それと同じような意味で、お金を稼ぐとか、何かが増えていくってことがイコール成功ではないという価値観が僕にはあります。個人的には高齢者のセクションなので、人生のたたみ方がなるべくハッピーで、1人でも多くの人の希望に添えるたたみ方を、いろんなお医者さんや介護のプレイヤーと一緒に作っていけたらと思ってるんです。8割くらいの人が家で死にたいと思っているのに、実際は15%しか家で死ねていないというギャップ。80年生きて来て、どこで最期を迎えたいかという望みが当たり前に叶えられるいわきにしたいんですよ。
小柳 そこはちょっと僕は視点が違うかもしれない。やっぱり稼がなきゃいけないんですよ。株式会社とNPOの違いって、得られた収益を株主に配当するのが株式会社、もう一度事業に再投資するのがNPO。だからいずれにせよ、何かの仕組みを持続可能にするためには、まず稼がなければならない。お金っていうのは経済の血液だから、巡らないといけないんです。だから、僕は何か新しいことをやるってなった時には、稼ぐことの前に、まず価値を作らなければいけない。その価値づくりを北山さんや僕がやっていて、それをサポートしてるのが猪狩さんなんです。
北山 株式会社とNPOを両方やってみて、稼ぐ前提はあって、ちゃんと利益の出せる状態を作ってきました。それで思うのは、やっぱりお金って使い方かなって思うんですよ。福祉の世界見てて思うんですけど、同じ制度でやって同じ報酬体系でやってるのに、何で差が出てくるのかなって。一日利用者が20名いるAという事業者とBという事業者があったとして、入るお金は一緒なんですよ。でも、その入ってくるお金の活かし方の違いで、自分たちの利益で運営できる事業所と、補助金などを使わないと運営が難しくなる事業所が出てきてしまう。同じ仕組みでやっているのに何でそうなるのかなって。福祉に関わってる人は安月給が当たり前だって、世間にも、働いている当人にも思われているのは色々と考えてしまいますね。
猪狩 たしかに。お金の使い方で端的に差が出てきちゃうんだね。
北山 山奥に事業所を抱えているところも全国には結構あるけど、僕は、いわきって場所で、みんな仕組みは同じだけど、違うやり方があるぞってことを示したいんです。社会福祉法人やNPOだから儲からない、ボランティアや寄付頼みだって思われるなんて、事実とは違うのに悲しいじゃないですか。
小柳 いわきって特徴があって、工業出荷額は東北で二位、でも付加価値額の部分、利益に乗っかってる額は最下位くらいなんだよね。いわきのものづくりの特徴って下請けで作ってるだけだってこと。一番いい例はアップルのネジですよ。ネジを必死に作るけれど、最後にデザインや広告の利益を乗っけるのはアップルでしょう。稼ぎ方、仕事の生業の歴史として、いわき市はやっぱり弱い。文句言わずに汗水流して働けっていう空気が強いんです。その意味でいくと、稼ぎ方とか稼ぐというフレーズは大事なキーワードです。野菜とかコメとかの農産物も、被災地とか風評とかそういうの置いといて、普通のマーケットとか生産地とか、何か価値を作るってことに関しては場所は関係ないですよ。むしろいわきはチャンスがあるはず。
―組織も、個人も、外部を受け入れる
北山 あとはどっぷり漬かり過ぎないってスタンスも大切だと思うんです。どうしても、僕らがやってる障害福祉って思いが強くなりすぎて、当事者意識が強くなりすぎる傾向にあるんです。原動力として人の思いは大事だと思うんですが、当事者になり過ぎないってことも大事だと思うんですよ。パッションは必要だけど、パッションだけに頼ることなく、当事者だけに頼ることなく、福祉業界の外の意見を取り入れたり、これまでやったことのないことを手がけてみる。つまり外部を取り入れる仕組みを作ることが持続可能性の鍵になるんじゃないかと。
小柳 うん。視点を変えたり、物事を俯瞰して見ることはすごく大事だよね。
北山 今僕はペルーにいるんですけど、ほんと、いわきを出るだけでも変わりますよね。今の自分の考えに大きく影響与えてるんじゃないかなと思います。日本の常識に縛られなくなってきたっていうか。そう考えると、僕は今ペルーで、小柳さんはパリ、猪狩さんもブラジル。一度は海外に出た経験があって、何かしらの福祉的な事業を始めてるわけですよね。たぶん、外部性をどう自分に取り入れたらいいかを体感的に理解してるんじゃないかと思うんです。
小柳 やっぱり外を見てるからこそ、今のローカルが見えてくるんだと思うし、それがすごく面白い。1つの世界しか知らないと、どうしても固定観念に縛られすぎちゃう。僕も高校卒業するまでいわきからほとんど出たことなかったから、よく分かります。やっぱり外の目線をどうやって手に入れていくのかってこと。すごく大事な論点だと思います。医療や福祉とか障害とか、世間的にある種の真面目さが求められるような業界でも必要ですよ。
北山 その意味でいうと、一番外部を受け入れているのは、猪狩さんのいるいわき市の地域包括ケア推進課かもしれませんね。こんな人が所属してるって時点でヤバいですよ(笑)。でもそういう組織は絶対に強いと思いますし、福祉っていう業界だからこそ、その目線が必要だと思います。
猪狩 だからさっき言ったじゃん。僕みたいなのを雇えるのはこの部署の豊かさに繫がるんだって。僕がいわき市役所にいる。それ自体が、いわき市の多様性に繫がってると思いますよ(笑)
おわり
(聞き手・構成/小松理虔(磐城高校98年卒))
北山 剛(きたやま・つよし)
代表理事CEO/エグゼクティブプロデューサー
1979年福島県いわき市生まれ
東北大学工学部卒業、同大学院情報科学研究科修了
株式会社LITALICO(障害福祉事業会社では唯一の東証一部(現プライム)に上場)の創業メンバーとして26歳で参画。原体験は創業当時に出会ったある男性との対話。交通事故で重度身体障害になり、以降20年近く24時間介護施設で生活し人生に絶望しきっていた男性。その絶望感は本人から生まれたものではなく、周りにいる少ない人間が勝手に諦めることにより生み出されたもの。そして、多様性を拒絶する福祉業界の壁。「障害があっても働きたい意志があるなら、それを何とか実現するのが障害福祉の使命ではないのか?」と自分たちの志を話そうものならバッシング、全否定。これは、誰に何を言われようが若者なりの想いを貫くしかない。想いを実現するまでやり切るしかない。そんなパッションで10年以上にわたり、社会的課題をビジネススキームで解決していくソーシャルビジネスが成り立つことを実績で示す。その後、同社から独立、再びゼロから起業。
NPO法人ソーシャルデザインワークスでは「仲間の幸せをチームで追い求め、諦めない一歩を踏み出せる社会を創る」というビジョンを掲げ、障害のある方や生きにくさを抱える方々に向けた自立訓練・就労支援サービス事業を軸に多様なごちゃまぜの世界観を地域の方々と共創し、全国展開を目指している。
はたらき方の多様性を自ら体現するために2017年〜2020年の3年間、家族と共に南米ペルーで移住生活を送った。